あらためて占いの世界をみると、かならず存在するのが流派の違い。
そして、多くの場合、それぞれの流派の正当性を主張し、他流派を否定する。
さらに、既得権益を保持するため、内容は秘密にするし、教えるときは法外なお金を取る。
今はずいぶんおとなしくなったけれど、基本的にはそういう図になっている。
だから、出版物がでたところで、ここに書いていることを勉強したからと言って占い師になれるわけではない、とかならず書かれている。
さらなる勉強を望むものは、この学校に行け、とそうなる。

なぜそうなるのか?多分だが、本当は占いは簡単なんじゃないだろうか。
だから、ちょっと教えるとすぐまねされるので、それを避けるために、隠す。
あるいは、教えるにしても、教え子が先生を始めると、既存の先生は商売あがったり。
だったら、引退できる程度に、教え子という教え子からお金をもらって、将来的な損失の補填とする。
当たり前といえば当たり前だが、たとえば今、世界を席巻しているAI、人工知能技術をみると、みんなにプログラムを公開して、全部教えて、みんなで改良する世の中が普通になっている、そんな世界とはずいぶん違う。
なぜ?多分だが、もう、四柱推命を改良しようにも、しようがないからじゃないだろうか。
答えがないのに追及してどうなる?
理論としての差別化が図られないのなら・・・かっこいい若い男性にやらせる?きれいな、かわいい女の子にやらせる?
うまく広告をうつ?いや、テレビに出る?やっぱり本を出しとく?
まぁ、そんな感じでしょう。
ともあれ、こんな状況ならば、たとえばですよ、このサイトで、とある鑑定士の言っていることを引用して、「いや私の理論だとそうはならない」といったところで・・・あんまりやると抗議してくるでしょ。
いや~大変だ。
ただ、もう四柱推命はずいぶん長いし、大体、どなたも言っていることは似通ってますから、ほとんどのところはマネとかそういう部分は減ったと思います。
ひとの鑑定をしている分には、諸先生方はなにも文句はいわないんですよね。
教師免状、となったときに、一気にハードルをあげてくる。それはそうでしょ、おまんま食い上げなんだから。
なにかでも、この、無料でみんなで情報を共有するインターネットの時代において、ちょっと時代錯誤な気もします。
本当は、ネットをみて勉強できるくらい、情報があってもいいはず。
そうおもいます。
そして、他流派を批判したり、だれかを「大変なことになりますよ」と、脅すじゃないけれど、警告したり、そういうネガティブな話って、読むとしんどいですよね。
そう、だから、もう、これくらいにしましょう。
他流派、みなさん、すばらしい!
みんな正しい、正解なんだ。それでいいような気がする。
引用するにしても、「このサイトのこの記事はとても勉強になる」と引用したうえで、もうすこし話を広げたくなったらやるくらいな。
いや~、でも、ほんとに自由に物事をいいたければ、四柱推命ど真ん中じゃないほうがいいのかもしれないですね。
いずれは、スピリチュアルな番組の末路と同じように、占いは嘘だから、っていう批判がくるのだろうか?
でも、正月のおみくじって、別にあれが怪しいとはおもわないし、当たるも八卦当たらぬも八卦、皆さん楽しんでますよね。
そういう、楽しむ土壌が共通概念として存在するならば、それはあり、ということなんでしょうか。
宗教で、神は存在するか?っていいようによっては存在するしなっていう考え方、はたして屁理屈なのか、真実なのか。人が必要とすればそれは存在するのか。
存在したほうが、正しいほうが人を幸せにするならば、それでいいじゃないということなのか。
なやましいです。
占いを信じてない人に、「あなたのおっしゃるように科学的に正しいかというとそうではないと言わざるを得ない」といったとして、その隣に占いを信じる人がいたらどうしますか。
がっかりするでしょう。
占いを信じる人には「あなたの運勢はこうです」というけど、その隣で、「ほんと?」といぶかしがる信じない人がいる。
なんとも息苦しいシチュエーションです。そのあたりのことは深く考えないほうがいいのか、一方のグループだけ付き合えばいいのか。
占いでは常に付きまとう問題です。。。
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