早いもので、今年も今日で終わろうとしている。
大晦日だ。
やれ、歳神様だので、31日にしめ縄は怒られるとか、29日は苦しいとか、だから28日にしめ縄したいけど、大体29日から休みだからまだあんまりやっている人いないし。
じゃあ30日でいいの?なんか遅すぎだけど、でもその日がダメとは誰も言わない。
とかどうこうしているうちに、買いそびれてしまった。
実際、海外ではない風習。日本だけ霊界がそうなっているとも思えない。
結局のところ、みてくれ、見せたいだけ、批判されたくないとか、日本社会に対しての立ち位置としての習慣しかない。
自分だけのためなら、みえないところに結界をはればいい。
最近、ずいぶん肩から力が抜けてきた。
暦は占い師にとって重要だが、もう普通の生活だと、そんなことより、大掃除しなきゃとか、そんなほうへ気が向く。
そう、年賀状もずいぶん古くなってきたものだ。
今は、仕事仲間にしてもプライベートにしても、女性の住所を聞くだなんて、もうプライバシー侵害も甚だしい。
世知辛い世の中になったものだ。
なにか、帰りに、女性と「じゃあ同じ方角だから」と一緒に帰ろうとすると、すごく警戒される。
以前、占いの教室の生徒から相談されたことがあった。
ほかの教室で、一緒に帰りたがる男性がいるけど、断りにくいと。
別に嫌いじゃないけど、どこまでついてくるんだということでしょう。
偶然家が近かったら、それこそ、家が特定されるとか、そういうことか。
昔は気にもしてなかったことだ。
なので、うちの教室でも、あまり年賀状のやり取りを強制はしない。
いまはSNS時代。あけおめのtwitterでずいぶんサーバーに負担をかけるようだし。
バルスほどじゃないけど。
年賀状は、関係が薄くなった人間とも、年に一回はつながっておきたい。そういうことだろう。
恋人じゃあるまいし、別にSNSであっても、疎遠な人とはやりとりしないものだ。
だとするといまどきのあけおめは意味があるかも。
ただ、あまり付き合いのない人にあけおめはやりづらい。
やっぱり年賀状のような、多少真面目でやらされている感のある媒体のほうが、そういう疎遠なものとのつながりにはいいのかも。
フェイスブックも真面目なツールだ。あれなんか年賀状の代わりになるのか。
はたして、占いもどこまで生き残るのか。
このコロナの時代、スピリチュアルはご時世ということもあり抑え気味だが、占いだけはまだ生き残り、テレビ番組でも扱われる。
どうだろう、最近は、よい占師ほど、単純にカウンセリングに徹しているようにも思う。
ついでに、占いの結果もピックアップして伝えたりとか。
できれば、占いの研究的なことももっと深まるといいのだが。
必ず、占いの本では、文献引用なんかしない。それだと、オリジナリティがないということか。
必ず、他流派を批判する。そうしないと自分の流派の正当性が担保されないからか。
ひとそれぞれ、みんな正しいとなると、価値が薄まるとおもうのか。
それでも、占いにはしっかりとした理論があるし、研究対象としてはふさわしい。
残念なのは、文献をあさっても、そこに答えがないということ。
合理性とか、別の観点から検証しなくてはいけないところが限界ともいえる。
まぁいい、どういう切り口があるか、来年からすこしずつ考えるとしよう。
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