四柱推命は生年月日時間を使ってその人の運勢を年単位、10年単位、30年単位で見ていく鑑定方法です。
今年か来年か再来年くらいに運気が上がりますよ、という話はできますが、今日、明日、明後日いいことありますよ、までは言えません。
東洋占星術といってもいいですが、あまり星の動きに重きを置かないので、西洋占星術と比較すると違和感があるでしょう。
東洋の占いにはいわゆる五術と呼ばれるものがあります。

手相や人相を見る相術、易占などの卜術、そして四柱推命などの命術、この3つをまずは運命学、いわゆる占いとします。
あとは鍼灸や漢方などの医術、それから健康法を含めた道教などの山術があります。
いわゆる手相は西洋占いがメインなので、あまり東洋の占いで手相をやると、やってもらった人は違和感があるかもしれません。
東洋西洋ごっちゃに、タロットと四柱推命を組み合わせる人もいるかもしれません。
できれば、易占、断易などと四柱推命を組み合わせるのが良いと思われます。
ただ、四柱推命だけでも十分占うことができますので、まずは四柱推命に注力しましょう。
さて、四柱推命は「占いの帝王」とよばれ、その理論的難しさなどから敬遠する人も多いようです。
ただ、実際のところ、用神といわれる良い五行を見抜くすべを知っていれば、比較的すぐに占うことができます。学ぶのは年単位で時間がかかりますが、いったん学べば、鑑定は短時間で済みます。
ひとつ問題なのが、流派がいくつかあり、占い方にばらつきがあること。
あと、理論自体がそれほど完成されているわけでもなく、まぁ鑑定するには問題ありませんが、突き詰めるとまだ不十分なところが多いと言わざるをえません。
そのため、各流派で試行錯誤した結果、流派ごとに違いが出てしまっているし、流派を超えて独自の占い方を獲得している人も多いです。かくいう私もその一人です。
やはり、自分が納得のいく占い方法じゃないと、人に自信をもって伝えることができませんから。
四柱推命は統計学か?
四柱推命というと、すぐに「統計学なんですか?」と聞かれる方がおられます。
統計学と主張する方の根拠は、長年にわたって使われた占い方法だから、これまでの歴史の積み重ねに耐えうる先述ということで、統計学と言っているのでしょう。
しかし、いわゆる統計学というものは、もちろん最初からモデルといわれるものを特定して、それを記述するパラメータを推定する方法(パラメトリック)がありますが、そのほかに、モデルを特定しない方法(ノンパラメトリック)もあります。
ちゃんとした四柱推命の理論が完成されたうえでの、個々人の特性に合わせたパラメータ推定としての四柱推命でしたらいいのですが、もし理論を適当にして、膨大な鑑定結果から何となくこうじゃないかと作り出した占い方法(ノンパラメトリック)は危険です。
四柱推命はちゃんとした理論をまずは完成させて、それから占うべきです。
そうでなければ、同じ人に対して、忘れたころ(数年後)にもう一度鑑定したときに、再現性のある鑑定ができない場合があります。
よく、占いの方は、心理学を否定する方が多いですが、多くの鑑定士は、占う前からそのお客さんの立ち振る舞い、しゃべり方で大体の鑑定方針を決めるものです。
同じことはお医者さんにも言えます。特に精神科の先生などは、もう大体見ていたら、診察する前から結果はわかっているといいます。
こうしたものは、そのお客さんから得られる動きやしゃべりのデータをもとに、統計的にその人の運勢を推定することになりますが、もしその日は暗い感じで、数年後に明るい感じでこられたらどうでしょう?
鑑定が変わってしまう可能性があります。
「あのぉ、数年前には全く別の鑑定だったのですが、なぜ変わったんですか?」
と聞かれるかもしれません。
これは信用にかかわります。
見た目にとらわれず、一度決めた四柱推命の理論に従い、再現性ある鑑定をしなくてはいけません。
これが、四柱推命の理論の重要さです。
なれた鑑定士は、特に理論を気にしなくても、大体で占ってしまいます。
言い換えるならば、もう雰囲気でいいたいことが決まっていて、それを補強するために、占いの用語を使っていい感じに鑑定するという、なぁなぁな鑑定になりがちなのです。
そうしたことを避ける意味でも、私はあえて、四柱推命はデータドリブンな帰納的な統計学ではなく、れっきとした理論に基づいた演繹的な鑑定方法といいたいです。
神殺を強調する四柱推命はダメ?
よく、だめな四柱推命の本は、神殺をことさらに主張しているので要注意、といいます。
これは日本に四柱推命の訳本が出回った時に、最初の訳本が神殺メインだったことにあるようです。
誤訳という批判も多かったと聞きます。
その後、より核となる四柱推命の本は別にあるということで、徐々に日本における四柱推命の扱いは変わってきました。
ただ、中国の歴史を考えると、大昔は生まれた年を基本にした占いが多く、その意味では歴史的には年干支主体の神殺も由緒正しといえます。
ただ、その後、日干を中心とした今どきの四柱推命が始まります。
そう、四柱推命じゃなくて子平だといって、より本格的な感じを主張する方も多いですね。
基本的には同じことです。
つまり、歴史とともに、いろんな占い方が出てきて、それぞれ生き残っているため、現在では多くの流派が残っているとも言えます。
ですから、一概に、あの流派はだめとか、うちの流派が一番正しいというのもどうかと思います。
でも「ひとそれぞれですから」は最悪の落としどころなので、まずはここという流派を決め、自分はこれが正しいと思うとして、必要以上に他流派を攻撃しないのが、一番平和な解決策なんじゃないですかね。
難しいですけど。
通変星重視はよくない?
通変星もずいぶんたたかれました。関西の呼び方かもしれませんが。
いわゆる比肩とか劫財とかですね。
これは、日干に対する月支のもつ蔵干との対応関係から見たものです。
通変星には十通りの通変星があり、たとえば同じ陰陽五行、甲と甲など、の場合は比肩というような感じです。
なので、基礎となる日干は十干、十通りあるのに、それをまとめて比肩と1つで表現することになります。
ようするに10倍雑ということです。
雑に見るのは必ずしも悪いことではありません。
木を見て森を見ずということもいいますから、まずは俯瞰的に通変星で見て、そのあと十干に分けて鑑定すればよいだけの話です。
四柱推命の最大流派である泰山流も一時期は通変星重視と批判された時期もありましたが、今は十分発展し、すばらしい鑑定方法となっていると思います。
うちは通変星重視ではない、十干を生かして鑑定している!という場合もよくよく見ると、日干の十干でふつうに言われていることと、通変星でいわれることを、適当にミックスしてしゃべっているだけということもあります。
これもまぁ雑な見方といわれても仕方ありません。
つまり、同じ比肩でも、たとえば甲甲と乙乙とは大違いなわけです。
大きな柱が二本立っていても立派な柱です。
でもねぇ、ツルが二本ぐにぐに絡まったら・・・もう終わりです。
やっぱりツルは、たとえばご神木(甲)に巻き付いていくとか、ある種理想的な形というものがありますから。
それは十干同士の関係を見る必要があります。
また、日干と月支の関係を見る際に、あまり月支の蔵干を1つに決め打ちするのもよくないです。
ルールに縛られすぎるのもよくなく、そのあたりも整理が必要な従来理論の欠点の1つとも言えます。
端的に問題点を指摘するならば、ほんの数日で蔵干がかわるほど季節が決定論的に変わることはないということです。
いくら短くても、大体1月単位で季節(蔵干)は変わると考え直したほうがよい。
そして常に、複数の蔵干(候補)があると考えて、一番脅威になる蔵干を注意して鑑定を構成するほうがいいと思います。
そのあたりの工夫も楽しい作業の1つです。またおいおい説明していきましょう。
用神は奥義でも何でもないです
四柱推命は用神の出し方が肝で、それすらできない人も多くいます。
でも、用神の算出はできて当たり前、早々に出し方を習得して、個別の鑑定方法へと応用力を付けるべきです。
そのためにも基本となる考え方が必要になります。
世の中でいわゆる「よい五行」として流布している用神は、調候用神だったり、まぁ用神にも五種類くらいありますが、いろいろあります。
公式をうのみにせず、自ら納得した形で用神を習得するべきでしょう。
その意味では、通変星などにたよらず、日干のもつ十干の性質と、月支に含まれる蔵干の十干の性質と、月支自体がもつ十二支としての特性、それから自然の摂理としての季節感、温度、湿度、そうしたものを組み込んだ形での用神算出が必要となります。
ですから、十干と十干の百通りの関係式、十干と十二支の120通りの関係式をすべて自分で把握し、それぞれを区別して答えられるようになっていなくてはいけません。
そのうえで、八つの字で構成される命式の残りの六つの位置関係も組み合わせながら、最終的に鑑定を作り上げることが肝要となります。
まずは基礎となる用神の算出を学び、そのうえで、その公式が使えなくなる状況、修正が必要になる状況を応用事例で学ぶ、そういう順番になると思います。
そんなつもりで四柱推命の勉強を進めてください。